REPORT

「自分の当たり前」は
「他人の当たり前ではない」
カプセルトイで体感する交差性

2026年3月27日

B Labが主催する「ニューロダイバーシティプロジェクト」では、脳や神経の多様性を尊重し、誰もが自分らしく力を発揮できる社会の実現を目指しています。今回のニューロダイバーシティプロジェクト・インタビューシリーズでご紹介するのは、実践女子大学人間社会学部 社会デザイン学科 教授 標葉 靖子氏(▲写真1▲)の取り組みです。標葉氏は2025年の「みんなの脳世界」で、他人の体験や感覚が書かれた紙が入ったカプセルトイを展示し、「自分の当たり前」が「他人の当たり前ではない」という日常の中の多様性に気づいてもらう取り組みを紹介しました。そんな標葉氏の研究活動について、B Lab所長の石戸 奈々子(▲写真2▲)がお聞きしました。

▲写真1・実践女子大学人間社会学部 社会デザイン学科 教授 標葉 靖子氏▲

▲写真2・B Lab所長の石戸 奈々子▲

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いろいろな人たちの『いろいろな重なり合い』から
さまざまな考え方や価値観が生まれる

石戸:「本日は、実践女子大学の標葉先生にお越しいただいています。標葉先生には、2025年の『みんなの脳世界』において、『自分の当たり前が、他人の当たり前とは限らない』という気づきを来場者に促す、とてもユニークな取り組みをご紹介いただきました。メディアにも取り上げられ、大きな反響を呼びました。まずは、今回の出展内容や、先生が日頃取り組まれている研究についてお聞かせください」。

標葉氏:「『みんなの脳世界』には、実践女子大学の標葉研究室と実践女子大学ジェンダード・ソーシャルイノベーション研究所との合同で『ラベルをこえて見えてくる日常』をテーマに出展しました。(▲写真3▲)

▲写真3・実践女子大学とジェンダード・ソーシャルイノベーション研究所の出展内容▲

私たちは普段、『女性だからこう、女子大生だからこうだ』などと、ある種のラベリングのもとで見られたり、自分たち自身もそういった枠の中に可能性を押し込めてしまったりといったことがあるかと思います。実践女子大学ジェンダード・ソーシャルイノベーション研究所は、そうした既成概念、私たちが思い込んでしまっているステレオタイプを取り外そうとしています。

世の中では、いろいろな人たちの『いろいろな重なり合い』から、さまざまな考え方や価値観が生まれます。人それぞれに嬉しいことや悲しいこと、面倒くさいことや困っていることが違うのに、私たちの社会は分かりやすく見えやすく主流となっている考え方や価値観が、いわゆる『スタンダード』であるという側面があります。

この研究所では、そこから外れたところに、これまで見えていなかったことがたくさんあるということに焦点を当て、そこから社会を良くしようと、さまざまなことに取り組んでいます。

私たちは、人種や階級、ジェンダー、セクシュアリティ、国籍、世代、ディスアビリティなどさまざまな要素の重なり合いを『交差性』と呼んでいます。実践女子大学の学生の日常を切り口に、日常の中にじつは自分たちが思っている以上に交差性があることに注目し、参加型のメディアやゲームなど、多くの人たちが参加できる場作りをやっています。その一環として、『みんなの脳世界』にも出展しました。来場してくださるさまざまな年齢の人たちが、自分の当たり前を気軽に言葉にして、他人の当たり前に触れてみて、どう違うのかを楽しみながら体感できるもの、そんな展示ができないかと考えて、学生と一緒に作り上げました。

取り組みを通じて交差性の要素について考えてみると、単純な性差だけではなく、人種や階級、国籍、世代、ディスアビリティなどが重なり合っています。さまざまな要素から、『自分で自分を特徴づけるなら、自分にどんなラベルを貼るか』を考えてみてください。実践女子大の学生の場合、どうしても『渋谷のZ世代』で『女子大生』で『文系』で、というようになりがちですが、それは本当に自分が思う自分の属性の組み合わせなのでしょうか。それを考えることも重要だと思います。

カプセルトイで他人の体験を共有し
自分がどう感じたかをマッピング

こうした考え方のもとに、『みんなの脳世界』では、カプセルトイを展示しました。(▲写真4▲)

▲写真4・『みんなの脳世界』における標葉氏の展示風景▲

カプセルトイを用意したのは、多様な人たちの感覚や経験を『ふっと手にしてみる』という感覚を演出するためです。中からカプセルが出てくると、その中には他人が経験したちょっと良い話やドキドキ、モヤモヤなどを書いた紙が入っています。他人の経験や感覚に触れて、『そのときに自分はどう感じたのか』、共感できたのか、あるいは自分にとっての新しい発見だったのか、マップの中で『ココロが動いた場所』に貼ってもらうという展示です。さらに、自分自身の経験や感覚、気持ちなども書いて、それをカプセルに入れて、また次の人に引いてもらうようにもしました。

あなたが書いた幸せやちょっとしたモヤモヤ、気になっていることが、誰かにとって『分かる・共感できる』というところに貼られているのか、その感覚は自分には分からなかったから『新しい発見』というところに貼られているのかを見て、楽しむことができます。一回では終わらずに、気持ちや感覚を循環させていくような仕掛けの展示です。

少し具体的に説明しますと、じつは、好きな感覚やポジティブになる気持ち、悲しくなる気持ち、嫌いな感覚などをオノマトペで書いてもらいたかったのですが、なかなかオノマトペというのが伝わりませんでした。そこで、短めに嬉しい、悲しい、楽しい、嫌だという感覚を書いてもらいました。そして、紙の裏には『なぜそう思うのか』、『これを書いたのはこんな人です』と自分で自分にハッシュタグをつけるようなかたちで書いてもらいました。

すると、例えば会場に来た70代の大学の先生が書いたものを8歳の子どもが引いて、『全然、分からない』とマップに貼ることもあります。もちろん、その逆もあります。ある国の人が『この景色が綺麗』、『街角のこの匂いが好き』と書いたのを引いて、別の国の人が『自分にも分かる、楽しい』とマップに貼ります。ちょっとした文通をその場でいろいろな人とできる仕組みにもなっているのです。

なぜ、私たちがこうした試みをしたのか、理由は2つあります。まずは、自分で自分のラベルをもう一度、見直してもらいたかったのです。もう一つは、感覚が人によって全く違うということを、みなで『交換し合って』もらいたかったからです。カプセルトイを引いて紙を見て、気持ちを知って自分も書くという、わずか10分もかからないほどの短い時間の中で、『いろいろな体験と感覚の交換』ができます。こうした実証を通じて、現在の研究では、どういった言葉がどういう人たちにとって楽しいのか、あるいは嫌だと感じられるのかを分析しています。その過程では改めて、この言葉、そのものが分からない、理解されていない、小さな頃に見ていた景色が共通する部分もあれば違う部分もある、など気づくことが数多くあると分かります。こうした分析の結果にもとづいて新しい作品を作ったり、もう少し没入性のあるものに改良したりすることも試みています」。

カテゴライズやラベリングは便利だが
差別や偏見につながる危険性も

石戸:「お話を伺うほどに、とても興味深い取り組みだと感じています。私たちが『みんなの脳世界』で大切にしているのも、『自分の当たり前は、他人の当たり前とは必ずしも同じではない』という、当たり前でありながら見落とされがちな事実に気づいてもらうことです。そして、多様性とはまさにその違いを前提に社会を見つめ直すことだ、というメッセージを伝えたいと考えています。また、『自分自身を自分でラベリングする』という行為は、言い換えれば『自分を自分で理解する』ことでもあると思います。これも『みんなの脳世界』の大切なコンセプトの一つです。先生のお話を伺いながら、今回の展示や研究が、私たちの目指してきたコンセプトとまさに重なっているのだと、改めて感じました。

そこで、いくつか質問させてください。まず、ステレオタイプやアンコンシャス・バイアスという言葉を耳にする機会は年々増えています。一方で、時代も価値観も大きく変化しているにもかかわらず、ステレオタイプな見方はなぜこれほどまでに根強く残り続けているのでしょうか」。

標葉氏:「やはり、社会で生きていく上で、どうしてもステレオタイプの方が分かりやすく、便利で、生きやすさにもつながっている、そんなところがあると考えています。例えば、面識のない人とその場でうまく話のきっかけを作ったり、職場などで人間関係をあたりさわりなく構築したりしようといったときには、やはり役割や見た目でカテゴライズして、そこに当てはめて相手を見ていくとちょっと安心しますよね。そんなこともあると思います。

例えば、巷では根拠はなくとも『血液型がA型の人はこういう性格』などとされていて、それが話のきっかけになることもあります。こうしたある種のカテゴライズは、それによって人が決まるわけではないと分かっていても、差別や偏見につながるリスクがあると理解していても、やはり便利さやコミュニケーションの糸口としての分かりやすさなどの観点ではある程度、有効で力のあるものです。

このように、ステレオタイプなカテゴライズを使うことによる利便性を実感してしまっている部分がありますが、結局、それを使うことが便利だと思っている人に合わせていることになります。

自分がどう振る舞うと良いのか分からないとき、自分はこういうタイプだから、こういう人だからというラベリングに合わせることはとてもラクです。そのラクさがどうしても強くなってきます。そうすると、そのタイプに合わせにくい人たちは、どんどん不可視化されていくことになります。これは非常に大きな問題であり、良くない兆候であると分かっている人たちもたくさんいると思います」。

石戸:「たしかに、ラベリングは一人ひとりの認知的負荷を下げるという意味でも、また共通点を見出すことでコミュニケーションを円滑にするという意味でも、非常に利便性の高いものだと思います。一方で、それが人と人とのあいだに分断を生んでしまう側面もあるのではないでしょうか。そう考えると、やはり大切なのは『自覚的になること』なのだと感じます。今回のトイカプセルの展示には、自分自身の『自覚』を促す側面があるように感じました。そこでお伺いしたいのですが、私たち一人ひとりが自分のバイアスやラベリングの癖に気づき、自覚していくためには、どのような方法やアプローチが考えられるのでしょうか。また、そのような自覚が生まれたあと、次のステップとしてどのような取り組みの実施を計画しているかについて、お聞かせください」。

標葉氏:「私自身の専門は、コミュニケーションデザインです。その中でも、いわゆる主流派でない人たちと一緒になって、その人たちが話しやすくするにはどのようなことがポイントになるのかを考えています。その研究の過程では、まずは『どういう人たちがいるのか』を考え、自分はそういう人たちに対して『どういうスタンスなのか』を自覚することから入ります。

認知や関心喚起などの活動が多くなってしまうのですが、本当に大切なのは、そこから先の行動・活動です。自覚しやすくなる、気づきやすくなる動線が引けるのであれば、その動線はどこに引けるだろうかを考えます。例えば、学校の教室の中でも主流派でない人たちが心理的にも負荷なく『困った』と言えるルートが存在していないと、周囲は気づくことが難しくなります。そのルートをどう仕掛けていくかを考えることが重要です。

主流派でない人たちが、じつは『ちょっと不便だ』と言いたかった、言って良いのに言えなかったという自覚が、『変えて欲しい』という言葉に変わるまでに一つ山を越えなくてはなりません。変わらないものだと考えがちですが、主流派でない人たちに『変えて欲しいと言っても良いのだ』と思っていただけるルート、『気軽に言える』ルートを日常の中に少しでも増やしていこうという活動が、次に目指しているところです」。

自分らしく振る舞える場を大切にするのが
ニューロダイバーシティ

石戸:「人と人とのあいだには、やはり本質的にさまざまな違いがあります。その違いがあること自体は自然なことであり、お互いがその違いに寛容であり続けることができれば、分断は生まれないのではないかと思います。そうした意味でも、先生の取り組みはとても意義深いものだと感じました。お話を伺いながら、私たちも同じ方向を目指して活動を進めていきたいと改めて思いました。

さて、私たちの事業や活動のテーマは『ニューロダイバーシティ』です。このニューロダイバーシティの実現という視点に立ったとき、特に注意すべきアンコンシャス・バイアスにはどのようなものがあるのでしょうか。また、それらは社会のどのような場面や仕組みの中に潜んでいるとお考えでしょうか」。

標葉氏:「ニューロダイバーシティという考え方をあまりよく知らない人たちが、その考え方やコンセプトを聞くと、意味合いを表層的に捉えてしまうことがあります。例えば、その場の雰囲気を乱したり、その場に馴染めない人たちに特別な配慮をしてあげたりという感じに理解してしまうのです。安易に分かりやすい言葉と結びつけて考えてしまうのですね。

しかし、ニューロダイバーシティとは、そんな単純な話ではないですよね。例えば、大学生の多くは友だちの中で『目立たないことが良いことだ』と考えがちです。そういったプレッシャーが強いので、ニューロダイバーシティについて話し合うと『特別な配慮が面倒くさい』と考える学生が出てきてしまうこともあります。最初は、誰にでもそれぞれの生きやすさがあって、自分らしく振る舞える場をお互いに大切にするために、主流派でない人たちの小さな要求でもみなで受け入れようと話し合いを始めたのに、いつの間にか『目立たないことが良いこと』という考えが主流になり、小さな要求は『特定の人たちのわがままだ』と、偏見を生み出してしまうのです。そこに気をつけなくてはならないと思っています」。

石戸:「合理的配慮という言葉そのものが、本当に適切なのかという議論もあります。教育現場では、『なぜ、あの子だけが特別扱いなのか』『特別扱いしてよいのか』といった声が上がることもあると聞きます。こうした受け止め方の背景にも、いまお話しいただいたような認識や構造が関係しているように感じるのですが、いかがでしょうか」。

標葉氏:「そうですね、その通りだと思います」。

石戸:「そう考えると、教育現場では学生たちにどのようなことを伝えていくことが重要なのでしょうか。さらに言えば、どのような環境を整えていけば、先ほどのような認識や誤解が生まれにくくなるのでしょうか。先生はどのようにお考えですか」。

標葉氏:「初等・中等教育と高等教育では環境、教育空間が違うので、大学など高等教育においてお話します。大学では周囲との人間関係をきちんと作ることが重視されますが、学生が一人でも何の問題もなく、心地よく過ごせる空間を大学の中で担保することが必要だと思います。友だちがいなくても、人と違う行動をしても構わない空間で、個人で過ごすことを前提として設計された場所です。

最近では、グループワークが必須になりつつあります。個が強い学生たちが本気でぶつかり合いながら、それぞれの特徴を活かしていくのがグループワークの理想ですが、どうしても『みんな仲良く、波風立てずに終わらせたい』という思いを持つ学生もいます。みんなとは相容れない、こだわりなどを持った学生も『グループワークでは相手に合わせてうまくやらないと単位がもらえない』と考えてしまいます。そんな環境を高等教育の現場で持つべきではありません。とはいえ、全てのグループワークを教員が見て指導するわけにもいかないので、学生たちのあいだで個人プレーを許容するような雰囲気、柔軟性を意識する必要もあると考えています」。

自分で自分が『どう見られるか』を選べる
そういった選択権が保証されていることが大切

石戸:「ラベリングには便利な側面がある一方で、デメリットもあるという点について、冒頭でも触れました。ニューロダイバーシティという言葉は、発達障害の当事者から生まれた概念ですが、そのこと自体が新たなラベリングにつながるのではないか、という議論もあります。発達障害という診断名の有無によって、周囲や社会の反応が変わってしまう場面も少なくありません。診断名があることで、自分自身の特性をより正確に理解でき、生きやすくなる人がいる一方で、診断名によって自分が望まない形でラベリングされてしまったと感じる人もいるかもしれません。こうした点について、私たちはどのように捉え、向き合っていけばよいのでしょうか。先生のお考えをお聞かせください」。

標葉氏:「自分で『どう見られるか』をきちんと選べる社会、そういった選択権が保証されている状態になっていないとならないと考えています。ラベルや診断名の利便性とともに、その限界についてもしっかりと理解する必要があります。交差性ともつながりますが、例えばASD(自閉スペクトラム症)の方で全く同じような症状や特性であっても、環境によって個性は全然違ってきます。自分のどこをどう見てもらうかを自分で選ぶためにも、世の中にあるラベリングには限界があるということと、どうしても一つの側面を際立たせることになってしまうという理解、そして同じ特性でも環境によって変わるという理解をもう少し広げる必要があります。その上で、『今、この瞬間に自分をこう定義したい』ということを自分で選べることが重要だと思います」。

石戸:「まさに、私たちが『みんなの脳世界』でこれまで示してきた方向性と重なるお話であり、『この方向で進めてきたことは間違っていなかったのだ』という安心感も覚えました。ただ、その上で、あえて少し意地悪な質問をさせてください。先生の展示は、『違いを理解する』ということに焦点を当てた取り組みだったように感じました。一方で、誰かを『理解したつもりになる』こと自体が、また別のバイアスを生んでしまう可能性もあるのではないかと思います。そうした点についても、展示の設計の中で何らかの配慮や工夫をされているのでしょうか」。

標葉氏:「自分で自分にラベリングをつけるとなると、結局、分かりやすくて自分が知っている言葉に集約されてしまいます。例えば、自分から出てきた感覚が『女の子らしい』感覚から外れたものになってしまったことで、紙に書くのを悩んでいる女性もいました。そういう視点で考えると、やはり理解したつもりが自分自身に対する思い込みであったり、バイアスになってしまったりということもあるかもしれません。展示では、『こういうケースもありますよ』と声掛けを徹底して、新しいステレオタイプを生むことにならないように気をつけました」。

『みんなの脳世界』の展示をきっかけに
自分の中にある多様性を考えて欲しい

石戸:「先生は女子大学という環境の中で、『女の子らしさ』といったラベリングに向き合いながら、さまざまな展示や研究に取り組んでこられたと思います。そうした視点からニューロダイバーシティを考えると、生きづらさにつながるラベリングの一つに、やはり『普通』という言葉があるのではないでしょうか。これまで社会は、ある種の標準を前提として『普通』を形づくってきました。しかし、私たちはこれから、そうした前提を問い直し、『新しい当たり前』を作っていく必要があるのではないかと考えています。そこでお伺いしたいのですが、これまでの『普通』や『標準』を見直し、新しい当たり前を社会の中に築いていくためには、どのような点に留意することが大切なのでしょうか。また、その突破口となるような取り組みや視点があれば、ぜひ先生のお考えをお聞かせください」。

標葉氏:「最近ではAIやデータサイエンスの進展で、さまざまな領域でスタンダードや平均などが数値化されやすくなったと感じています。そんなスタンダードや平均が示されたとき、『全てが平均の人はいない』という当たり前に立ち返ることで、平均やスタンダードといっても決して一つではない、複数あるのだと分かります。身長が平均的でも、手足の長さまでを含めて考えると全てが平均に収まる人は少ないというのと同じです。つまり、身長の平均、手足の長さの平均というように、スタンダードはたくさんあり、そんな状態に慣れることが重要だと思います。

標準というのは、分かりやすい一つの軸でもあります。今回の我々の展示でも軸を作るということに関してはかなり議論がありました。軸はある種の見方を提示してしまうので、ときどきは軸をずらすようなこともやってみました。どうやっても標準や平均からは外れるものが存在し、それが出てしまうということを体験していただき、外れることは決して悪いことではないということの理解をしっかりとすり合わせていかないとならないと思います。それをやらないと、これからの時代、AIが計算して導き出したものは分かりやすく、それが標準となってしまうと、それに近いデータ、マッチしているデータ、そこに乗りやすいデータだけが残っていくことになってしまいます」。

石戸:「そうですね。テクノロジーの活用は、物事をかえって画一的な方向へと引っ張ってしまう可能性もあります。だからこそ、テクノロジーをどのように多様性に寛容な方向へと導いていくのかという視点が、これからますます重要になってくるのではないかと思います。また、ものごとを捉える軸が多様であるという点も非常に示唆的だと感じました。定量的な指標は分かりやすい反面、どうしても平均化されやすい側面があります。一方で、人と人との違いは少数派であったり、目立たなかったりするがゆえに、見えにくいという難しさもあるのだと改めて思いました。

そこで、『みんなの脳世界』での来場者の反応についても、少しお聞きしたいと思います。バイアスに気づいたときの反応は、人によって大きく分かれるのではないかと感じています。気づきをきっかけに自分の振る舞いを変えようとする人もいれば、逆に防衛的になってしまう人もいるかもしれません。実際に展示をご覧になった来場者の反応はいかがでしたか。今回の展示は、防衛的な反応を引き出すのではなく、むしろ来場者の行動や考え方に小さな変化が生まれることを目指して設計されていたのではないかと思います。そうした中で、来場者に対してどのような働きかけや声かけを行っていたのか、ぜひお聞かせください」。

標葉氏:「実際の展示で来場者の反応を見た限りでは、自分のバイアスに気がつき、明確に強く意識したという人はそれほど多くはなかったと思います。ご自身が書いて貼った内容が、普段から考えているステレオタイプや思い込みに由来するかもしれないといったところまで踏み込んで議論できた人は、来場者全体の1割くらいだったと思います。

その一方で、自分だったらこうだなと思って書いて貼ってみたら、自分とは感覚が違う人がいると分かり、人によって『日常』が違うことが『当たり前』であることに気がついたという人が多くいらっしゃいました。特に世代の違いに対する意識について言及する人が多かったと思います。普段の自分とは違う視点を提示してくれる人との出会いがあったこと、世代が違う人たちの感覚を知ることができたこと、そこに喜びや嬉しさを感じた人が多かったようです」。

石戸:「来場者の特性にもよるのかもしれませんね。小さなお子さんからシニアの方まで、幅広い世代の方々が来場されたからこそ、それぞれの受け止め方の違いがより際立ったという面もあったのではないかと思います。

最後に、二つほどお伺いさせてください。一つ目は、この展示を体験した方々が日常に戻ったときにも、心の中で問い続けてほしい『問い』があるとしたら、どのようなものになるでしょうか。そしてもう一つは、ニューロダイバーシティ社会の実現に向けて、私たち一人ひとり、あるいは社会全体に向けてのメッセージがあれば、ぜひお聞かせください」。

標葉氏:「今回の私たちの展示をきっかけにして考え続けて欲しいことは、『ラベルをこえて見えてくる日常』とタイトルでも書いているように、自分が何か特定のカテゴリの特徴を背負った存在である必要はなく、いろいろなものが組み合わさった存在であること、しかも、それは固定された一つのものではなく、動的に変るもの、環境によっても変化するものであるということです。そう考えることで、例えば『今、この場ではこう振る舞わなければいけないのかもしれない』と辛さを感じたときに、気軽に自分の中にある多様性について考えることができるでしょう。自分の中には自分が気づいていなかった重なり合いがあることを思い返し、特定の見方をされて嫌だなと感じたときには、『この人はまだその視点を持っていないだけなんだ』と思ってもらう、そういったことを繰り返す中で、少しずつ多様性を考えた視点が広がっていくと期待しています。

ニューロダイバーシティ社会の実現も、そこにつながってくると思います。この人はこうだと安易に決めつけず、自分とは違っていても寛容を持って受け止めてみる。全く違う人をそのまま100%受け入れる必要はないのですが、ちょっとした工夫でお互いが分かり合えるようになると考えています。そうした小さなことの積み重ねを、多くの人が意識して実践していただけると素晴らしいと思います」。

石戸:「ありがとうございます。先生の展示は、とてもシンプルで分かりやすい一方で、人との違いに気づくきっかけにもなり、同時に自分自身を見つめ直すきっかけにもなる、非常に示唆に富んだものだと感じました。私はこれまで初等・中等教育に関わってきましたが、こうした体験は、ぜひ多くの子どもたちにも届けたいと思いました。先生の研究成果や取り組みを、より小さな子どもたちにも広げていくような活動を、これからぜひご一緒できたら素晴らしいと感じています。本日は貴重なお話をありがとうございました」。