視覚障がい者向けの
「触る地図=触地図」が拓く
ニューロダイバーシティの世界
2025年12月8日
B Labが主催する「ニューロダイバーシティプロジェクト」では、脳や神経の多様性を尊重し、誰もが自分らしく力を発揮できる社会の実現を目指しています。今回のニューロダイバーシティプロジェクト・インタビューシリーズでご紹介するのは新潟大学 工学部 教授 渡辺 哲也氏(▲写真1▲)の取り組みです。渡辺研究室では、視覚障がいの方々が触れることで目的地までの経路などを確認できる「触地図(しょくちず)」の研究・開発を進め、「みんなの脳世界」に出展しました。触地図に取り組んだ背景や具体的な研究内容、今後の展望などについて、B Lab所長の石戸 奈々子(▲写真2▲)がお聞きしました。


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視覚障がい者のための触る地図の
研究に10年以上前から取り組む
石戸:「新潟大学 工学部の渡辺研究室ではICTを活用して視覚障がい者を支援する『触地図(しょくちず)』の研究に取り組んでいらっしゃいます。今回、『みんなの脳世界』でもご紹介いただきました。あらためて、出展内容、そして渡辺先生の研究内容について教えていただけますか」。
渡辺氏:「渡辺研究室では、10年以上前から触る地図の『触地図』の研究に取り組んでいます。『みんなの脳世界』には、視覚障がいの方々の来場はそれほど多くはないと思いますが、だからこそ、触地図というものがあるということを普段、視覚障がいの方々と関わっていない人たちに知ってもらうことは意義があると考えました。
もともと触る地図の研究に取り組んだのは、新潟大学に赴任する直前に海外で触る地図を手がけている方々に出会い、とても驚いたことがきっかけでした。じつは視覚障がい者のための触る地図は、かなり以前、100年も200年も前から作られています。ただし、作るのにとても時間がかかるので、お使いになる視覚障がいの方の細かな要望に応じたものはなかなか作ることができず、汎用的なものがほとんどでした。
ところが、私が新潟大学の赴任直前に見たものは自動で触る地図を点字プリンターで印刷する際の、いわば原稿を作るシステムだったのです。道路地図に住所を入力すると道路の名前や住所の場所が示され、そのまま点字プリンターで印刷できるものでした。しかも、それを開発したのが視覚障がいのあるご本人でした。その開発者の方の研究所に訪問し、お話をさせていただきました。
その数年後、外部資金を得て『分かりやすい図を作りましょう』というテーマの研究に取り組み、その図の1つとして地図に取り組みました。国土地理院のデータをもとに住所を入力すると周囲の道路画像が作成され、特殊な紙に印刷して立体コピー機に通すと触ることができる地図ができあがる立体コピーシステムです。私自身がグループリーダーとなり、メンバーがプログラムを作成しました。
立体コピーシステムで触る地図を作成して、視覚障がい者向けのイベントや自主的に開いたワークショップで紹介し、実際に触ってもらったところ、『面白い』という反応が多くありました。イベントやワークショップに来ていただいた方からは、『自分の家の周囲の地図は作れますか』とよく聞かれました。その場で住所を入力して実際に触れられるようにしてみましたが、最初にできるのは道路の線だけなので、何がなんだか分からないようだったのです。そこで、『ご自宅はここですね。こちらには道路が通っていて、この方向に行くと公園がありますよね』というように目印になるような場所を入力して触れられるようにしていくと、『分かる、分かる』とご自身の生活圏を把握できるようになり、とても喜んでいただけました。視聴覚障がいの方々は、『自分だけの触る地図』が手に入るなんて思ってもいなかったことなので本当に喜んでいただき、私たちもその喜びを目の当たりにできました。そのことがとても大きな励みになり、この研究はずっと続けていきたいと思い、現在まで続けてきました。
ただ、展示会やワークショップ、学会での発表だけで『触地図』を本当に必要している方々にきちんと届けられているのかを考えると、決してそうではないでしょう。15~16年間毎年、視覚障がい者向け総合イベント『サイトワールド』に研究室として参加し、来場者に触地図を作って差し上げることを地道に継続してきましたが、やはり『年1回だけのこと』です。その他にも、研究室で触地図のイベントを開いたり、メールで申し込みを受け付けて触地図を作成するサービスを展開したりと、さまざまな活動を実践してきています。
実際にどのように触地図を作成してきたのか。立体コピー図を紹介します。(▲写真3▲)

この立体コピー図を立体コピー機に通すと、黒いところが全て0.4~0.5ミリぐらいの高さに浮き上がり、触れるようになります」。
石戸:「触地図は、とても興味深い研究テーマだと感じています。視覚に障がいのない、いわゆる晴眼者にとっては、『触覚という新たな感覚による情報が付加された地図』を手にすることができるとも言えますよね。触覚ならではの伝えられる情報や、視覚とは異なる触覚独自の特徴を、どのように設計思想として取り入れていらっしゃるのか、もう少し詳しくお聞かせいただけますでしょうか」。
渡辺氏:「地図に限らず、図に触って理解することは視覚で理解するのと比べると困難が多いのです。指の分解能は2~3ミリとされていますから、指先で触れたときに2~3ミリ離れた2つの点を区別することはできますが、1ミリ程度しか離れていない2つの点は1つの点として感じてしまうことがあるとされています。後天的な視覚障がいの方が点字を読みにくいと感じるのは、こういった理由があるとも考えられています。また、指でなぞり『何かがある』と感じることは誰でもできるのですが、なぞったものを全体の形として認識することには訓練がいるとされています。
さらに、分解能とも関連しますが触覚では細かい形が分かりにくいのです。要素同士がくっついているとそれを正確に把握できないこともあるので目で見る地図よりも大きく作り、要素と要素や点と点との間をきちんと空けないとなりません。その他にも地図記号の数もあまり多くできないなど、制約・制限が多いと思います。
参考までに作ってみたこの立体コピー図でも、少し情報が詰まっているというところです。実際にはもう少し、1~2センチずつそれぞれのブロックを大きくしないと、指でなぞって全体像を把握するのは難しいかもしれません」。(▲写真4▲)

地図は街中を歩く時に使うだけではなく
誰もが俯瞰的に「広い範囲のことを考える手段」
石戸:「認識の精度を高めるために、さまざまな工夫を凝らしていらっしゃることがよく分かりました。一方で、それとは別に、視覚障がいの方々が日常的で世界や空間をどのように認識しているかという点には、晴眼者とは異なる特徴があるのではないかと感じています。そうした視点に立てば、視覚障がいの方々の感じ方に寄り添った地図の作り方もあるのではないかと推察します。実際に、視覚障がいの当事者の方々との対話を通じて取り組みを進めておられると思いますが、その点についてどのようにお考えか、ぜひお聞かせいただけますでしょうか」。
渡辺氏:「視覚障がいの方々と晴眼者との世界や空間の認識の違い、どれがどう地図に反映されているのかということでは、地図には直接反映されてはいないと思います。地図は俯瞰的であり空の上から見ているようなものですが、例えば人間が街中を歩いているときは頭の上から俯瞰した地図を思い浮かべてはいないでしょう。自分の見える前に何があるのか、右や左に何があるのかといった感覚の中で動いています。この研究に取り組み始めた頃、実験によく参加してくださった方が、まさに『私は、そういう感じで地図を見ているのです』とおっしゃっていて、とても興味深いと思ったことがあります。
もし『自分が街の中にいるというイメージの地図を作る』となったら平面的な地図ではなく、音響的な地図を再現したほうが良いのかもしれません。ただ、それでは局所的になってしまいます。視覚障がい者も晴眼者も常に地図を思い浮かべながら移動しているわけではないのですが、地図をおおまかに頭に入れておくと、『今はおおよそこの辺りにいるよね』、『こっちの方向に進んでいるよね』、『大体、◌◌くらいの距離だよね』、『そうするとこのぐらいのところに◌◌があるよね』などと、俯瞰的な情報を持っておくことができ、安心して移動ができると思います。それが私なりに考える地図の役割の一つです。
私は地図の専門家ではありませんが、英語で『マップする』には『地図を描く』という意味もありますし、『将来どうするか』と考えてプランを立てるという意味合いでも使われます。地図、マップとは俯瞰的に広い範囲のことを考える手段であり、必ずしも街中などのあるエリアを歩くときなどだけに使用するものではありません。当初は私も視覚障がい者向けの地図というと、歩くための地図と思っていました。ところが、実際に触地図のサービスを提供していくと、道路地図だけでなく、例えば駅の構内図やデパートなどのフロアマップ(▲写真5▲)や公園内の案内図(▲写真6▲)、もう少し広く車で移動するときなどに利用できる生活圏内のどこにショッピングセンターがあるのかといったことが分かる地図(▲写真7▲)、あるいは観光に行くので目的地周辺の地図など、さまざまな地図への要望が寄せられました。イベントを開催すると、東京23区の地図(▲写真8▲)や都道府県が分かる地図(▲写真9▲)などには、多くの視覚障がいの方からの『ぜひ、ください』というリクエストが多くありました。歩くときだけに使用するのではなく、もっと全体を把握したいとお考えの方々が多いと感じました。





お見せしたのは日本における地図ですが、こういうものが作れるのでしたら、世界の地図も欲しくなりますよね。そこで、ヨーロッパの地図も作りました。必ずしもヨーロッパを歩くわけではないのですが、ヨーロッパについて知りたいという好奇心、興味を刺激し充足させるのに、こうした地図が役立っていくと考えています」。(▲写真10▲)

石戸:「冒頭で、住所を入力すると個別最適化された地図が作成できるというお話がありました。AIや3Dプリンター、スマートデバイスなどの技術が進化するにつれ、個別最適化された情報提供のあり方は、今後ますます広がっていくと感じています。こうした技術の発展は、これからの触地図の世界をどのように変えていくとお考えでしょうか。先生のご見解をぜひお聞かせください」。
渡辺氏:「ここ数年の技術進化は目覚ましく、AIをはじめGPSなどのデバイスもより小さく、高機能になっています。以前なら夢物語だった機器、例えば画像を捉えながら信号や交差点も分かるし、どちらから人が来るのかも分かる、交差点ではどの方向に進めば良いのかを振動で知らせてくれる、そんな機器も次々に登場しているようです。
そうした中で、よく受ける質問の1つが『もう地図はいらないのではないですか』というものです。晴眼者の方々も考えていただきたいのですが、目的地までを導いてくれるナビアプリを使うとき、ナビアプリを使ってなんとなく辿り着けたらそれで良いという人もいれば、現在地からどのくらいの距離のところにあるのか、あるいは地図を見ているうちに本来の目的を忘れ、『こっちにこんなものがある』など別のところに気が行き、見ることそのものを楽しむ人もいるでしょう。
同じように視覚障がいの方でも自分の目的地がどのようなところか知りたい人、気にしない人、地図を楽しむ人などがいらっしゃると思います。その意味では触地図の役割がなくなるわけではなく、むしろ、事前に触地図で場所や目的地の様子を理解しておいて、その上で最新のさまざまなデバイスを活用すれば、より自信を持って『このぐらい歩いたので、そろそろ着くはずだな』と分かるようになるのではないでしょうか。
また、デバイスの中には、まだ屋内に十分に対応しきれていないものもあると思います。例えば、駅の中には構内図もありますが、その構内図の掲示してあるところに辿り着くのもまた一苦労です。屋外にある視覚障がい者向けの地図の場合、汚れていて手でなぞるのを嫌だと感じる方もいらっしゃるでしょう。こうしたことから、触地図で事前に知っておきたいというニーズはあるのです。その意味で触地図を含めて紙の地図の役割はずっとあると考えています」。
視覚はぱっと見て多くの情報を得られる
触覚は視覚が見逃した細かな情報を確認できる
石戸:「私たちニューロダイバーシティプロジェクトでは、テクノロジーを活用した個の拡張と、社会側の環境調整の両方を大切にしています。環境調整の視点で言えば、これまで社会のさまざまなデザインは、いわゆるマジョリティとされる人々を中心に構築されてきました。しかし、テクノロジーを活用することで、これまでマイノリティとされてきた方々の困りごとにも寄り添える、新しい環境をつくることができます。その結果、自分とは異なる多数派に無理に合わせることを強いられてきた方々も含めて、より多くの方々により生きやすい社会につながると考えており、これは私たちプロジェクトが大切にしている理念でもあります。一人ひとりが異なる存在であるにもかかわらず、情報提供のあり方は長らく視覚中心で設計されてきました。触地図の研究・開発に携わる中で、そうした社会的な偏りを感じられたことはありますでしょうか。同時に、触覚的な情報や手触り感による伝達といった技術研究が、私たちが当たり前としてきた視覚中心の社会をどのように問い直し得るのかについて、先生のお考えをぜひお聞かせいただければと思います」。
渡辺氏:「視覚は大雑把な情報をぱっと捉えるのに適しています。一方で、触覚は全部、触っていくのに時間がかかり、視覚に比べると時間のかかる感覚です。
ただ、視覚は細かい情報を見逃すこともあります。ぱっと見て分かったつもりでいても、時間のかかる触覚という手段で確認してみると、『あれ、ここはこうなっているぞ』ということもあります。車で走るとあっという間で景色もあまり見ないで通り過ぎてしまう道でも、自転車や徒歩で時間をかけて通ってみると見えてくるものがあるでしょう。どちらにも良い点、悪い点があると思います。その視点で考えると、触覚は時間がかかる分、細かいところに気がつく感覚だと思います」。
石戸:「私たちも、テクノロジーを活用して多様な感覚を体験できる取り組みを進めています。触地図についてお話を伺い、視覚だけでは気づけない情報に気づけるという点から、視覚障がいの方々だけでなく、多くの人にとって大きな意味を持つ研究だと改めて感じました。『みんなの脳世界』の来場者は、必ずしも視覚障がいの方々だけではありません。晴眼者にとっても、視覚だけでは見逃してしまう部分に気づくきっかけとなり、自分の感覚を拡張する体験につながるのではないかと思っています。これまで、そうした視点からのフィードバックや印象的なエピソードなどがあれば、ぜひお聞かせいただけますでしょうか」。
渡辺氏:「おっしゃる通りですね。今年度私が力を入れてきたものは、まさに視覚障がいの方々だけでなく、他の人たちにもアピールしていくことです。平面地図や3Dプリンターで作ったものをもっと広めたいと思っています。
その意味で今回の『みんなの脳世界』はすごく良い機会でした。触地図が、どう視覚障がいの方々に役立つのかと考えていくと、例えば東京や大阪のある区の大きさや形、ギザギザなのかツルッとしているのかなどぱっと見ただけでは分からないことを、じっくり触ることで分かるというところです。特にパズルのようになっているものを手に取ってみると、『こんなに大きい』などというように感じることができます。
例えば、『日本の中で北海道に次いで2番目に大きい都道府県どこですか』と聞かれて知識で覚えている人は少ないと思いますが、先日のイベントでは実際に触れてみることで『岩手県はこんなに大きいのですか』といった声が聞かれました。目で見て分かったつもり、気にしていなかったものについて、晴眼者でも触ってみるとより分かるようになります。『みんなの脳世界』に来てくださった方々が、そういったところに面白さを感じていただけたら、より触地図やその意味合いが広がっていくと思います」。
触地図を視覚障がい者と
晴眼者との間の「橋渡し」に
石戸:「情報を見るのではなく、触れることで得られる体験は、私たちの世界の捉え方を変え、理解をより深めてくれる可能性があると感じました。その大きな可能性に強い期待を寄せています。一方で、現在の触地図はどの程度普及が進んでいるのでしょうか。また、今後さらに広げていくためには、どのような点がボトルネックになるとお考えでしょうか。たとえば、制度的な課題や文化的な需要、技術面でのハードルなど、どのような要因が普及の妨げになり得るのかについて、先生のお考えをお聞かせいただければと思います」。
渡辺氏:「3Dプリンターのものと紙の触地図では、少し異なります。また、多くの人が求めるものと、ごく一部の人が求めるものとでも分かれると感じています。例えば、日本地図には視覚障がいの方も一般の方も、ほとんどの人が興味を持ちます。多くの人が欲しいと思うものは販売するなどして広めることができますが、多くの人には売れないもの、特定の人たちのニーズがあるものをどうするか。やはり、視覚障がいの方々だけの世界にとどまらせないことが大事なポイントだと考えています。
もう1つ、逆に数は出ないが個の要望に応じた地図作りもあります。例えば、ある駅とある住所との間の地図はそこに居住している人しか欲しがらないでしょう。そういったものについては個別対応をしています。以前から作って差し上げてはいましたが、イベント会場に来ていただいてその場で一緒に作ってしまうこともあれば、『触地図を作る会』を開催し、地図上で住所を探り当てて『この辺でしょうか。周囲にはどのようなお店を入れますか、どのくらいのエリアの地図にしますか』などと話をしながら作ることも手がけてきました。
触地図を作る会では1回に5名ぐらいを受け付けています。私と学生、あとは触地図を作ってみたいという方々に参加いただいています。その会が実に楽しいのです。実際、視覚障がいのある方もその横にいて作る人も最初、よく分からないものがだんだんと分かってきて、視覚障がいのあるご本人が喜んでくれることを目の当たりにするという、すごく楽しい作業です。しかも、言葉のやり取りがあるので地図で見ながら話をしていると視覚障がいの方が『そこに、そんなものがあったのですか』と発見することも多いのです。その過程そのものが地域を学ぶ機会になっていて、とても意味のある会だと思います。こういったものを僕が発案して、主に東京や知り合いがいた神戸で開いています。こうした取り組みに賛同してくださる方々を増やす、その普及活動を今年度は進めていきたいと思っています。
その意味でボトルネックがあるとしたら、3Dプリンターが安価になっている一方で、最終的に地図の線を盛り上げる機械が高いままということがあります。これが、なんとかならないのかと考えています。これが安価になれば、もっと普及しやすくなるでしょう。10万円や30万円程度の機械であれば、クラウドファンディングで集めて数年は使っていけるとは思います」。
石戸:「先ほどのお話、とても素敵だと感じました。視覚障がいのある方々だけでなく、地域の子どもたちや一般の方々にとっても、地域学習の一環として地図を作るという体験ができ、そのアウトプットが視覚障がいのある方々の助けにもなる。そんな循環が生まれると、本当に素晴らしいことだと思います。
『みんなの脳世界』では、一人ひとり特性が異なり、見えている世界も異なるという前提のもと、VRなどのテクノロジーを活用して『他の人には世界がどう見えているのか』を体験し、他者理解を深め、寛容性を高めていこうとしています。その意味で、触地図のような技術は、視覚障がいの有無にかかわらず、それぞれの人が『他者の世界』に触れるきっかけとなり得る、まさに橋渡しの役割を果たすものだと思います。このような『感覚を介した相互理解』について、先生はどのようにお考えでしょうか」。
渡辺氏:「橋渡しになって欲しいのですが、やはり難しさはあります。というのも、やはり見える人は普通に『見てしまう』のです。目を閉じて見えない人のように触覚に頼る環境には入ってはいくことはできますが、しばらくの間、触っていても『やはり分からない』と目を開いてしまい、『ああ、そういうことか』となってしまいます。なかなか、視覚障がいの方々についての深い理解というところまでにはいかないのです。『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』というエンタテインメントのような、何らかの仕掛けが必要かもしれません」。
石戸:「今回の『みんなの脳世界』では、ダイアログ・ダイバーシティミュージアム『対話の森』も参加してくださっていて、多くの方に体験していただけたのではないかと思います。
先ほど、視覚が情報提供の中心になりがちであるというお話をしましたが、触覚・聴覚・嗅覚といった多様な感覚を取り入れたデザインが、社会のインフラの中にどのように組み込まれていくべきなのか、大変関心を持っています。障がいのある方々がともに生きる社会の実現に向けて、視覚以外の感覚を情報インフラや都市デザインにどのように活かしていくべきか、先生のお考えをぜひお聞かせいただけますでしょうか」。
渡辺氏:「先ほど地図を作る会の話をしました。同じように以前に新潟市の視覚障がい者福祉協会と『ハザードマップを作る会』を開催したことがあります。そこには防災士会の方も何人か来て見学してくださいました。今でこそ耳で聞くハザードマップもだいぶ普及していると思いますが、耳で聞くものはどうしても時系列になります。地図を上から眺めるのか、自分がその中にいるのかという意味で言えば、耳で聞くというのはその中に没入するタイプです。どのくらい歩いたら右に行くというように逐次的です。
それに対して触地図は上から俯瞰する形です。どのくらいの距離、どの方向という大雑把なイメージを把握することができます。それが良いところです。『ハザードマップを作る会』では数名の視覚障がいの方、支援する方、防災士会の方にも入っていただき、ご自身の家と最寄りの避難所との間の地図を作りました。それを一緒に触り、晴眼者が『ここは、どこそこの場所ですね』、『角には◌◌がありますね』というお話をしながら避難経路などを把握していきます。その会が終わった後に実際に一度、歩いてみるとどのくらいの時間がかかるのかが分かると思います。そういった広まり方になるのが理想的です。
インフラという意味では、例えばある市役所と最寄り駅までの道のりを言葉で説明する、そういった音声による案内などは各自治体が整備しています。そういった視覚障がい者向けサービスの中に触地図も取り入れてもらえないかと考えています。市役所や区役所に毎週、行くことはないとは思いますが、市役所や区役所には地域で頻繁に訪れる場所、あるいは街全体、駅や市内の主要な場所の触地図が置いてある、そうした環境が整うと素晴らしいと思います」。
技術の進展と個別最適を踏まえた
インクルーシブな地図とは
石戸:「ハザードマップのお話がありましたが、私たちもセンサリーマップを作るワークショップを行っています。感覚過敏のある方々にとっては、『この光は本当に辛い』『この空間のこの音はどうしても耐えられない』といったように、感じ方が人によって大きく異なります。そうした多様な感覚情報を、時系列ではなく俯瞰的にマッピングできる点は、触地図ならではの魅力だと感じました。五感のさまざまな要素を取り込んだ、よりインクルーシブな地図が作れたら素晴らしいですね。そこでお伺いしたいのですが、先生が考える『インクルーシブな地図』とは、どのような姿をしているものでしょうか。その理想像について、ぜひお聞かせください」。
渡辺氏:「理想としては『誰にとっても』となるのでしょうが、やはり個別に作っていかないといけないと考えています」。
石戸:「そういう意味では、個別最適化された自分だけの地図を作れるような仕組みや技術が発展すれば、それ自体がインクルーシブな地図につながり得る、ということでしょうか」。
渡辺氏:「現実には『個別最適化された地図なんて無理』という意見もあるでしょう。そこを技術がカバーしてくれると、とても良いのではないでしょうか。例えば、ポーランドでは我々と同じような触る地図をすぐに作れるWebのアプリケーションが提供されています。さまざまな種類の地図、一般の地図や航空写真の地図など同じ地域の地図が何種類も用意され、そのうちの1つとして触地図があります。それを地図会社が提供しているのです。
現在、研究している触地図は主に全盲者向けですが、私の研究室ではある学生がロービジョンの方向けの触地図を作ったことがあります。単純に背景の色を黒っぽくして、道路を黄色や白色にしただけですが、そういったものが、例えばGoogleマップの中でデフォルトの地図、航空写真の地図、自転車用地図などと一緒に触地図やロービジョン者向けの地図として提供されるようになれば素晴らしいと考えています。
ちなみにポーランドのサービスについて知り合いの研究者に聞いてみたところ、多分、無料で提供されているようです。一般の方々向けの地図のサービスである程度、利益を得ているからだと思います。このようにフリーで運用できるようになるのが理想です」。
石戸:「自分で選択できるという考え方は、とてもインクルーシブな発想だと感じます。ある時はこのタイプの地図が必要で、別のシチュエーションではまったく違う形の地図が欲しくなる。そのように、個人の状況や感覚に応じて選択肢が広がる地図こそ、まさにインクルーシブな地図であるという先生のお考えに、深く共感しました。
さまざまなお話を伺ってまいりましたが、最後に、触地図の研究やその他のご研究を踏まえ、ニューロダイバーシティ社会の実現に向けて伝えたいメッセージを一言いただければと思います」。
渡辺氏:「特殊だったものが技術の進歩によって、ごく当たり前に入手できるような社会になると良いと思っています。今から20年くらい前であれば、地図を見る人はこんなにはいませんでした。ごく少数の好きな人だけが買って見るものでした。小中学校や高校までは授業で地図に触れますが、卒業した途端、ごく少数の地図好きな人は見ますが、それ以外の人はほとんど見ない状態でした。それがWeb、スマートフォン、GPSなど技術の進展により、今や地図を見ない人はほとんどいないでしょう。
今では、お店に行くにしろ待ち合わせをするにしろ観光地にしろ、広い範囲や狭い範囲を自由に拡大・縮小しながら無料で見ています。ところが触る地図についてはどうでしょうか。研究室では作るのに費用はもらっていませんが、『頼んでから1週間ほど』時間をいただいています。
それが、せめて1日ぐらいで入手できるようになったらと考えています。例えば、ウクライナへの侵攻のニュースは毎日のようにありましたが『ウクライナって、どこにあるの』、『どのくらいの大きさなの』、『周りにどのような国があるの』というのがすぐに分からないのは、視覚障がいの方にとってはもどかしいのです。
我々はその地図を作り200以上のところに提供しました。世の中に興味を持っている人は必ずいます。そういった方々に触地図をすぐに届けられるようにする、そうするための取り組みを進めるべきだと思っています」。
石戸:「知りたいという気持ちに応える個別最適化された触地図は、ニューロダイバーシティ社会の実現に向けても大きな可能性を秘めていると感じました。今回の『みんなの脳世界』でのご縁をきっかけに、触地図の普及を含め、ぜひご一緒に取り組んでいけたらと思います。本日はどうもありがとうございました」。

