「無意識の能力」を引き出すテクノロジーの探求―産業技術総合研究所の挑戦-
2024年12月9日
「みんなの脳世界2024~超多様~」では、ニューロダイバーシティ社会の実現に取り組むさまざまな企業・大学・研究機関の最先端の研究成果に触れることができます。産業技術総合研究所(以下、産総研)では、普段は当たり前のようにできている動作が、緊張したりその動作を意識し過ぎたりするとできなくなる現象について研究しています。意識が正常な動きを妨げる現象をテクノロジーでサポートできれば「無意識の能力を引き出す」ことができるかもしれません。産総研の村井 昭彦氏(▲写真1▲)に展示内容と最新の研究成果などについて、「みんなの脳世界」展を推進するB Lab所長の石戸 奈々子(▲写真3▲)が聞きました。
意識と無意識を感じながら「無意識の能力」を引き出す体験を
石戸:「『みんなの脳世界』での展示内容と最新の放送技術の研究内容、ニューロダイバーシティへの取り組みについて教えてください」
村井氏:「私たちの研究チームでは意識と無意識に着目をし、展示では『無意識による能力』を引き出す感覚を体験してもらうデモンストレーションを実施します。よく知られていることですが、普段は無意識のうちに『普通にできること』、身体が非常にスムーズに動くことでも、緊張するなどして過剰に意識してしまうとできなくなってしまったり、動きにくくなったりすることがあります。
例えば、普段だとゴミ箱にゴミを簡単に投げ入れられるのに、入るか入らないかを意識し始めたり、入れなくてはいけないと緊張してしまったりすると入らなくなってしまうといったことです。歩くことを意識すればするほど歩けなくなってしまう「すくみ足」という現象もあります。
我々は、意識と無意識とをそれぞれモデル化して、意識が過剰になっている状態をなんらかの方法でサポートすることによって、無意識の能力を引き出し「うまくできるようにする」、そういった研究に取り組んでいます。 展示でのデモンストレーションでは、3つのシナリオを考えています。まずは、自作したロボットハンドを使い、箱にお手玉を投げ入れてもらいます。(▲写真2▲)
自分で見たものに対して、ロボットハンドを使って自分でタイミングを測って投げることで、うまく箱へ入れられるという体験をしてもらいます。
次に、視覚的な変容を行います。装着型のオペラグラスで箱が近くに見えてしまう状況を作り出して、ロボットハンドを操作してお手玉を投げてもらうと、視覚に頼り過ぎて手前に投げてしまいます。最初に投げた「無意識における筋肉の動き」を思い返せば、本来なら入るはずなのですが、さまざまな情報が入ることによってうまく入らなくなるという体験をしていただきます。
このロボットハンドはマニュアルと自動で動く2つのモードがあり、最後はロボットハンドを自動で動くモードにします。そして、手を振る動作だけを意識して投げます。ロボットハンドが、お手玉を離すタイミングを自動でコントロールしてうまく箱に入るという体験ができます。3つめのシナリオでは、ロボットハンドが自動で動くというサポートを受けることで、意識するとうまくいかなかった動作が無意識下でうまくいくという体験をしてもらいたいと考えています。
なぜ、こうしたことに取り組むのか。その背景には我々が『無意識の能力』を引き出すためのサポートについて研究を進めていることがあります。具体的には、臨床的に整形的な疾患がある人に対して、その人が日常的には意識していないところに医学的な介入をすることで、無意識下の能力を引き出し、うまく動けるようにしていくといった研究です。そのような症例をいくつか作りながら、一方ではロボティクスやAIの技術を使うことで実際に疾患や異常を検知し、自動的に介入方法を作り出そうとしています。 こうした研究の領域で実践されている意識・無意識のモデル化と、それによって無意識の能力が引き出されるということはどういうことなのかをデモンストレーションに参加していただいた方々に体験していただきたいと考えています」
無意識の能力を引き出し、行動変容を促し人間拡張へとつなげていく
石戸:「最初のシナリオについて、質問があります。ロボットハンドで箱にお手玉を投げるときには、箱を見ながら投げるというように視覚情報をもとに投げているので、箱が近くに見えるようになったら入らなくなるのは当然とも言えるのではないでしょうか。どこに無意識による動きが出ているのか、今一つ分かりにくかったので、もう少し補足をしていただいてもよろしいでしょうか」
村井氏:「はい。私たちは『箱を見てお手玉を投げる』という動作について、意識/無意識で捉えると『かなり無意識に近い状態で投げている』と考えています。人の運動は反射・定型・随意の3つに分けられますが、それらが『どれぐらい意識して行われているのか』を考えると、歩行などは無意識を意味する定型の運動になり、目の前に何かターゲットがあってそれに対して物を投げるという運動も、その時にどの筋肉をどう動かすかをほとんど意識しないで無意識下でなされています。
つまり、視覚を使って投げるという意識はされるものの、『投げる』という日常的な動作は無意識に近いと考えています。それに対して、オペラグラスを装着して視覚に意識が集中してしまうと、それまでは無意識の動作だったのに意識が邪魔をし始めてしまうと考えています。
おっしゃる通り、視覚が変わったことによってできなくなるのは当然ですが、その当然できなくなったことが、テクノロジーなどのサポートによってできるようになるところが、今回の展示で伝えたいところです。その人が意識をしてできるようになるのではなく、無意識下でテクノロジーによって、その行動ができるという体験ができないかと考えました」
石戸:「なるほど。例えばバスケットボールでは訓練を積んだ選手なら目をつぶってもゴールにシュートが入ると言われています。意識しないでも入るシュートの動作ができる。しかし別のことに意識がいってしまうと、シュートが入らなくなってしまう。そういった理解でよろしいでしょうか」
村井氏:「そうですね。バスケットボールでは、ゴールの後ろ側で敵チームのファンやサポーター、いわゆるブースターが仮装をしたり、さまざまなサインを出したりしてシュートなどのプレイを妨害しているのをご覧になったことがあるかもしれません。ようは、そこに意識を持っていかせることによって、その選手のそれまでの無意識の動きを変えることで、うまくできなくしようとしていると考えられます。それを、テクノロジーなどによって元に戻してあげるというのが今回のデモンストレーションの意図です」
石戸:「スポーツ選手でなくとも、意識しすぎて緊張してしまうと普段だったら当たり前にできていることができなくなる経験は誰しもがあると思います。その意識/無意識を自分の中で切り替えたり、コントロールできるようになったりすると、重要な場面でうまくやれるようになる、力はあるのに緊張すると発揮できない人が『実力を発揮できるようになる』、そういったことですね」
村井氏:「その通りです。そのときにロボティクスの技術などで自動的に支援をしてくれるようになれば、意識せずに無意識にその力に頼ることも起きてくると期待しています。こうしたサポートをすることで、人の行動だけではなく人の考え方や神経伝達、運動の制御自体がどのように変わっていくのか、 そこは非常に興味深いところです。ただ、意識と無意識をコントロールすること自体は非常に難しいですし、技術的にも難しいものがあります。そこで、まずは環境を制御し、人と環境とのインタラクションをデザインすることによって、うまく人の中の変容を起こせないかと考えています」。
石戸:「確かに自分で意識/無意識を切り替えることは現実的には難しいと思います。そうした中、ロボティクスの技術など外部のサポートによって良い意味合いで強制的に切り替えることができるようになるのは、興味深いですね。人の行動変容というお話しもありましたが、これまでの研究成果においてどのような行動変容があったのか、具体的な事例などありましたら教えてください」
村井氏:「例えばDATSURYOKUというプロジェクトでは、人の運動に対してリアルタイムに環境を制御するような装置を作りました。スポーツジムでランニングをする時に使われるトレッドミルにモーションキャプチャーを繋げることで、人の歩行パターンに合わせてリアルタイムにスピードを制御するシステムを構築しました。通常のトレッドミルは一定速度で回転するベルトが流れる構造ですが、私たちのトレッドミルでは、人がベルトにかかとをつける瞬間に動きを少し遅くしてあげ、その後に加速するようになっています。 平均歩行速度などパフォーマンスが同じになるように平均速度などを調整しますが、トレッドミルにかかとが付いた瞬間は遅く、その後に速くなっていくというようなインタラクションのパターンを作ることで、人が床から受ける力を小さくすることができますが、これは怪我の低減にもつながります。運動力学的に床が動いているので人が受ける力は変わるのですが、それだけでなく、人が歩くときに使う下腿三頭筋と言われる膝から下の筋肉の活動度が小さくなることがわかりました。これについて、私たちは『DATSURYOKU』と呼んでいるのですが、人が環境とインタラクションをするときに、そのインタラクションをうまくデザインをしてあげると、人の行動の変容、ここだと『筋肉の力を抜くようなDATSURYOKU』を引き起こすことができるようになります。こうした研究成果をさまざまな人の行動に広げていくことで、みんなが心地よく活き活きと動くことができる人間拡張を目指しています」
人の能力のリソース配分をうまくデザインすることが可能に
石戸:「この研究開発が進んだときに、どのようなシチュエーションで使うかを考えながらお話を聞いていました。意識せずに車の運転をするとスムーズにできることが、運転初心者だと意識しすぎてスムーズに運転できないということがあります。身近な例では、そういったところでのサポートもあるかと考えましたが、これから先どのような用途を想定されていらっしゃるのか、教えてください」
村井氏:「私は人のできることの総量はある程度、決まっていると考えています。つまり、能力のリソースとでもいうのでしょうか、それがある程度決まっていて、それを意識/無意識に関わらず、いろいろなところに配分して人は日常生活を送っていると考えているのです。
そうすると、人が創造的な活動をするためのリソースを増やすために、今、研究している技術が活かされていくと考えています。例えば人が歩行するときに、歩くことに集中的にそのリソースが使われてしまうと、別のことを考えたりしたりできなくなってしまいます。反対に歩くときにリソースを使わなくても良いとなる、つまり、歩くという動作がほぼ無意識でできるのであれば、歩きながら周囲を見たり、物事を考えたりできるようになります。このように人のリソース配分をうまくデザインすることに、この技術が使えるのではないかと考えています。
ただ、気を付けなければいけないところは、このような技術によって支援がされたときに、人がそれに頼ることによって本来の能力を失ってしまうことも危惧されます。大切なことは、技術で介入したときに、人がどのように変容するのかを観察しながら、人の全体的な能力が下がらないように支援をしつつ、人が持つクリエイティブな部分にリソースを割けるようにすることです」。
石戸:「確かに人の能力を拡張しようとしているのに、むしろ人間の能力を抑えるような使い方になってしまったら元も子もありませんね。無意識の能力を引き出す研究が進むと、この先、人が意識しないで行動できることが増えていくのでしょうか」
村井氏:「そのようにしたいと考えています。ただし、そういったときでも人は動くけれども、リソースを使う部分と使わない部分があって、使う部分はきちんと使うけれども人が本当に取り組みたいクリエイティブな部分を実践するための支援として無意識をサポートし、能力を引き出すことが必要だと考えています」。
意識/無意識をコントロールすることでウェルビーイングやクリエイティビティに資する研究
石戸:「自分自身の行動は、自分の無意識に制御されているのは不思議な感覚だと思います。この意識と無意識に着目したきっかけはどのようなことだったのでしょう」
村井氏:「整形的な疾患において、後天的に疾患になったときにうまくできなくなることが多くあります。過剰な筋活動や神経活動がよく見られるのですが、それをブロックすることによってうまく動くようになるという事例が発見されています。そうしたことをもとに、意識/無意識をコントロールすることによって、将来的な人のウェルビーイングや人のクリエイティビティに資するような研究が進められるのではないかと考えたのがきっかけです」
石戸:「私たちはニューロダイバーシティ推進の一環で『みんなの脳世界』の展示を行っています。後天的な疾患でうまくものごとができなくなった人へのサポートがきっかけとのことですが、ニューロダイバーシティの取り組みも発達障がいの方々の当事者運動からスタートしています。発達障がいとひとくくりにされがちですが、定型と言われる方とそうではない方など、人それぞれでさまざまな違いがあります。そうした違いに対して、今回の研究開発が何らかアプローチする術はあるのでしょうか」
村井氏:「おそらくあると考えています。話し方や注意の向け方などは意識の部分であって、人が随意的にコントロールをしているところです。それに対して無意識なところ、人は必ず歩きますし、呼吸しなければ生きられないですし、物を投げてゴミ箱に入れるということも日常的に行っている無意識の部分だと思います。
その無意識の部分にリソースを割かなくてもよくなると、そうではないところにリソースを配分できるようになり、そこのクオリティを上げる方向へとつなげられるようになるでしょう。人の無意識をサポートするという技術はさまざまなところに今後は応用されるようになることを期待しています」
石戸:「『みんなの脳世界』の展示ではコーナーが分かれていて、1つは人の感覚の多様性、人の感覚の違いを知るコーナーです。また、1人ひとりの身体を拡張することによって、一人ひとりの生きやすさをより広げていくコーナーもあります。さらには、環境側を調整することで一人ひとりが力を発揮しやすい 社会を作っていくというコーナーに続きます。村井さんの研究は、その3つのコーナーのいずれにも関連があると思いました。
意識と無意識を機械的なサポートによってコントロールできるのであるならば、他の人がどこに意識を向けているのかも体験できるかと思いましたし、意識/無意識をコントロールすることによって、個人の力を拡張することもできるでしょうし、そのコントロールが難しいときにロボットなどを使いながら環境からのアプローチによるサポートもできると考えると、今の研究開発は、3つの領域の全てにおいて活用が見込まれるのではないでしょうか」
村井氏:「その通りだと思います。そのコアにあるのが、人と環境とのインタラクションだと考えています。そこをきちんとモデル化して、計測をして、解析をして、 さらに、そこをデザインできるようにすることで『みんなの脳世界』の3テーマにつながると思います」。
石戸:「現在、研究中の技術が社会実装され、頭の中にある未来が実現されるのはいつ頃でしょうか」。
村井氏:「大掛かりな装置を作ってインタラクションをデザインして、それによって人の動作が変わってくるといった世の中を今すぐに実現できるかというとそうではなく、まだラボレベルだと考えています。それを社会実装するときには、実際に受け入れられる社会的な受容もありますし、技術的な課題等の問題もあるかと思います。
一方で少しの介入で人の動作を変えるということは、既にさまざまなところで実践されています。例えば、Webサイトを見るときの、さまざまな外からの刺激を制御したり、歩いているときの靴をフィットさせたりするような技術などがあります。次はいかにその人に合わせて、その人が良くなるように、その人が幸せになるように、技術と選んでいくところができあがってくるとさまざまな方に使ってもらうようになり、それによって能力が拡張され良い社会につながっていくと思っています」
石戸:「これからは個々に合わせた 適用を考えていくことによって、社会受容性も高まるということですね。最後に、ニューロダイバーシティ社会実現に向けて、もしくは今後の研究に向けての抱負をいただけますか」
村井氏「ニューロダイバーシティという観点でいうと、全ての人が幸せに暮らせる社会が必要だと考えています。そこを補完していくのは我々が開発しているような人間拡張技術です。トップアスリートだけが幸せになるようなものではなく、全ての人が幸せになる、うまく動ける、活発になれる、このようなことを目指して研究を続けていきたいと思います」
石戸「ニューロダイバーシティとは、もともと発達障がいの当事者の方から生まれた言葉です。一人ひとりの多様性を大切にしながら、一人ひとりが力を発揮できる社会を実現したいということを目的にこのプロジェクトを立ち上げました。村井さんたちの研究は、そこに合致していると思いました」
村井氏:「意識/無意識には哲学的な要素も多く、そこをきちんとモデル化をするというのは非常に困難であり、だからこそ、これからもっと研究を進めていかなくてはならない領域です。意識下で脳のどの部位が活動している、無意識下ではどの部位が活動している、といったことはMRIなどを使えば確認することはできますが、それが実際、人の動作においてどのように影響するのかをモデル化することはなされていません。そうした視点からも『無意識』を明らかにしていきたいと考えています」
石戸「無意識の証明とは、言ってみれば『ないもの』を証明するようなものですよね。とてもチャレンジングですね」
村井氏「われわれのミーティングでも無意識の定義が何なのかがよく話し合われています。意識されないものはすべて無意識なのかという話がでてくると、『意識ができている範囲』がどこまでなのか、『意識されていない部分』とはどこまでかを定義できないなどの議論が非常に多くでています。そこをきちんと議論しつつ、チャレンジングな研究をゴールに近づけていきたいと考えています」