「ロボット×VR×心理学」で自己効力感を育み
一人ひとりが暮らしやすい社会を創る
2026年5月1日
B Labが主催する「ニューロダイバーシティプロジェクト」では、脳や神経の多様性を尊重し、誰もが自分らしく力を発揮できる社会の実現を目指しています。今回のニューロダイバーシティプロジェクト・インタビューシリーズで紹介するのは、2025年の「みんなの脳世界」にも出展された玉川大学 脳科学研究所 教授 稲邑 哲也氏(▲写真1▲)の取り組みです。稲邑氏は、運動能力が低下してしまった人などを対象に、ロボットアームなどによる物理的なアシストだけではなく、「自分ならできる」というポジティブな自己効力感を育むVR体験を通じて日常生活を支援する仕組み作りに取り組んでいます。そんな稲邑氏の研究について、B Lab所長の石戸 奈々子(▲写真2▲)がお聞きしました。


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VRとロボットをかけ合わせて
「自分ならできる」自己効力感を高める
石戸:「本日は、玉川大学の稲邑先生にお越しいただいています。稲邑先生には、2025年の『みんなの脳世界』にご出展いただきました。出展内容や日々の研究内容についてお聞かせください」。
稲邑氏:「玉川大学の脳科学研究所で、ロボットとVR、心理学の3つを融合して、人々の日常生活を支援するシステムを作る研究に取り組んでいます。こうしたアシストシステムや支援システムには、さまざまなものがありますが、身体が不自由になってしまった人を支援するのがひとつの目標です。
アシストシステムを使うことで『動きやすくなった』と感じてもらうことは大切ですが、例えば、ロボットがその人の代わりに全てのことをやってあげたとしたら、それは本当にその人のためになるのでしょうか。その人の幸せに本当につながるのか、そんな疑問を常に持ち続けながら、アシストシステムを作っています。リハビリや介護など運動機能が低下した人を支援するアシストロボットは、もうすでに20~30年前から非常に多くの取り組みがあり、さまざまに活用され、身体を上手く動かせない人や足腰が弱くて力を出せない多くの人たちを助けてきたという実績があります。しかし、物理的に自分の足で立ち上がることができるようになっても、手でモノを掴めるようになったとしても、気持ちが『どうせ私にはできっこない』と思い込んでいるままで、ロボットが支援するからできているという状態は、果たして本当に理想的なアシストになっているのでしょうか。そこに、どうしても疑問が残ってしまうのです。
こうした背景のもと、ここ数年間で取り組んできたのが、『活力ある社会を創る適応自在AIロボット群』というプロジェクトです。(▲写真3▲)

科学技術振興機構(JST)が推進するムーンショットプログラムの目標3 研究開発プロジェクト「活力ある社会を創る適応自在AIロボット群」(2020年度採択、2025年度終了)の一環として取り組んできました。単純に人が立ち上がれるように支援するという物理的なアシストではなくて、自己効力感を高めるといった心理的アシストをするロボットの開発を目的としています。
自己効力感とは、自分ならきっと上手くできる、今は無理だけど頑張ればきっとできるようになるというポジティブな感覚、将来の自分を信じられる力です。それを育むようなアシストロボット、自己効力感を育むようなリハビリや介護のシステムを作ろうというのがこのプロジェクトの根幹です。
具体的には、さまざまなタイプのロボットを使い、さまざまな状況やユーザへ対応することができるシステムが重要になります。(▲写真4▲)

人が立ち上がるのを支援したり、動かせない手を動かせるようにしたりといろいろなロボットがありますが、ロボットによる物理的な支援だけではなく、バーチャルリアリティ(VR)の要素を加えるのが私のミッションです。ある人にVRでさまざまな身体の動きを体感してもらうことで、その動きが完全にはできていないが『できたことにしてしまう』というポジティブイリュージョンの技術を組み合わせています。身体の動きを物理的に支援するだけではなく、メンタル的にも支援するのです。
『みんなの脳世界』では、ボールを投げる動作のVRイリュージョンシステムを展示しました。(▲写真5▲)

パラリンピックなどで知られているボッチャでボールを投げる動作のときの手の速度を計測し、その速度では投げても目的の場所には届かないけれど、VRを活用して『上手く届いた』ことにしてしまう、その成功をバーチャル空間で体験させてあげるものです。そのVRシステムと物理的に手の動きを支援するアシストロボットを統合した仕組みです。これにより、自己効力感を高めてリハビリを効果的・効率的に実施することを目的としています。(▲写真6▲)

もう少し具体的に説明します。まず、利用者は、自身の手に投げるときの力やスピードを高めてくれる物理的な支援ロボットをはめます。そして、VRのヘッドマウントディスプレイをかぶり、本当はあまり遠くに飛んでいなくても、飛んだような映像を見られるようにします。こうして手の動きを物理的に支援しつつ、遠くに飛ぶ様子も映像で確認できるようにしてあげるのです。すると、利用者のモチベーションや自己効力感が向上していきます。そこを狙ったシステムです。
『みんなの脳世界』の展示では、利用者にアンケートを取りました。ブースでVRボッチャシステムを体験したことで『将来、自分でどれくらいできるようになると思いますか』、『どれくらい気持ちが前向きになりましたか』といった問いに対しては、VRだけの場合や物理的な支援だけの場合に比べると、回答がよりポジティブになる傾向が見られました。自己効力感が最も大きくなったのは、VRと物理支援をかけ合わせた仕組みだったのです。これからさらに実験を重ね、研究論文にまとめようと考えています。(▲写真7▲)

こうしたことから、ただ『リハビリを頑張りましょう』と言うだけではなくて、『ちょっと良い自分』をVRを活用して見せてあげて、『ちょっと良い将来の自分の姿』を体験していただき、『これだったらできる』というポジティブな気持ちを味わっていただきながらリハビリを続けたり、エクササイズをしていったりすることが大切だと考えています。物理的な支援とメンタル的な支援をかけ合わせた仕組みを通じて人を支援することが重要なのです。
自分はどうせできないとか、リハビリは自分には難しいというネガティブなところから一歩でも抜け出して自己効力感を高めていく、そうすると自然とリハビリも頑張るようになり、その後はVRのイリュージョンがなくてもできるのではないでしょうか。そういう状態に持っていくことが、アシストシステムの重要な役割であると認識して研究開発を進めています」。
挑戦レベルを調整して
ちょうど良い「フロー」状態にする
石戸:「非常に興味深いご研究だと感じました。支援とは、できないことを代わりに行うことではなく、その人が『できるかもしれない』と思える状態を生み出し、自らの力を発揮できるようにすることなのだと改めて認識し、深い感銘を受けました。いくつかお伺いさせてください。まず、VRとロボットを組み合わせた仕組みが、最も自己効力感を高める結果につながったとのことですが、その要因についてはどのように分析されていますか」。
稲邑氏:「まだ被験者が多くはなく、これからさらなる分析も必要な状態ですので、私の個人的な考えという前提で話します。まず、VRでボールが飛んだのを見るだけでも自分はできると思うこともあると思います。しかし、実際には手が動きにくく、力も出しにくいと感じ、物理的には手を素早く動かせていません。勘が良い人なら、『そんなに速く手を動かせていないのに、こんなに遠くに飛ぶなんて何かおかしいのではないか』と気づくかもしれません。それが自分自身への疑念にもつながってしまう可能性もあり、なかなか『自分ができる』という感覚にはならないでしょう。それに対して、物理的に手に力をかけなくても動かせるようにする、あるいはスピードを物理的にブーストすると、ロボットが手を動かしてくれたと感じたとしても、実際に物理的な動きとしてできているとなって、それが相乗効果の要因になっている、仮説の段階ですがそのように考えています」。
石戸:「簡単に得られる成功と、努力の末に達成された成功とでは、自己効力感の高まり方に大きな違いがあるのではないかと感じます。そう考えると、自己効力感を高めるために成功体験をデザインする際には、『自分の力でできた』という実感、そのリアリティをいかに感じてもらうかが重要なポイントになるのではないでしょうか。その点について、どのように設計されているのでしょうか」。
稲邑氏:「鋭いご指摘ですね。そこも研究の対象です。参考までに心理学のフロー理論を説明します。ミハイ・チクセントミハイという心理学者が提唱した理論です。(▼写真8▲)

ある人のスキルを横軸に、挑戦のレベルを縦軸に取り、この二つの関係性でその人が感じる感覚がさまざまに変化するということを図で示しています。最も良いのはスキルも挑戦レベルも高い、右上に位置するフローです。良く『ゾーンに入った』という言い方をしますが、まさにこのフローが最も理想的でポジティブな状態です。その人のスキルも高いし、挑戦しようとしているタスクのレベルも高い、両方が高い状態になるとフローに入ります。
一方、スキルが高い人に単純なことをやらせても、例えば大谷翔平のように素晴らしいスキルを持っている選手に小学生の相手をさせてもフローにはなりません。あまりに簡単なことでは、何回やってもリラックス状態になるだけでポジティブにはならないのです。
逆にスキルが低いときに、チャレンジングなことを要求されても不安になってしまいますよね。これがリハビリの現場でしばしば出てくる、できないのに難しいリハビリのプログラムを要求されて不安になる状態です。ちょうどよいフロー状態に持っていくことが非常に大事です。その人のスキルをいきなり高くしたり低くしたりするのは難しく、それはその人が努力で徐々に高めていくしかありません。我々にできることは挑戦のレベルを高くしたり低くしたりすることです。その人の状態に応じて上げたり下げたりを臨機応変にする、そういうテクノロジーをVRで作ります。VRの中で難しさを上げたり下げたりして、その人にちょうど合うようなフロー状態にする技術も研究のトピックに入っています」。
他人の成功を見ることも影響する
自己効力感を高める4つの要因
石戸:「成功体験に導くための難易度調整をきめ細やかに行える点は、段階的に成功体験を積み重ねていくという意味で、非常に有益だと感じました。一方で、それがあくまでイリュージョンであると考えてしまうと、現実の成功体験と同様に脳へ影響を与えるのかという点には関心があります。長期的に見たとき、その効果はどの程度なのでしょうか。もう一点、少し意地悪な質問になるかもしれませんが、VRによって得られる成功体験が、場合によっては逆効果となるようなケースは想定されるのでしょうか」。
稲邑氏:「最初のご質問は非常に重要、かつ難しい問題です。正直なところ、まだ解決はしていません。VRの中でさまざまなイリュージョンを経験し、『何でもできる』、『軽やかに身体を動かせる』と感じたところで、『本日のリハビリはおしまいです。ヘッドマウントディスプレイを脱いでください』と現実に戻ると、『さっきまでは、こんなはずではなかったのに』とも感じてしまいます。VRを使ったリハビリ、トレーニングの中で、『あなたはできます』と下駄を履かせた状態を続けておいて、終わったらさっさとそれをなくすというのは非常に問題です。
そこで、始めるときにも終わるときにも、VRのイリュージョンの度合いを徐々に上げたり下げたりしていく工夫をしています。そのほうが、その人が長期的にポジティブな感覚を持ち続けるのに良いという傾向が見られています。つまり、現実の世界に徐々に戻してあげるということです。この戻し方も人それぞれなので、まだ課題は残っています。シンプルには徐々に下げていく方法です。また、徐々に上げていっても上げたままでイリュージョンの度合いをキープしておくと、できると思い込んでしまいます。徐々に上げた後には、絶えず動かす、ときにイリュージョンを下げてみるといったことも重要です。いつも定常的で同じようなイリュージョンを見せてしまうと、それに慣れてしまうので、なるべく定常状態をキープしないことも有効ではないかと考えています」。
石戸:「そのようにVRの度合いを適切に調整することで、現時点においては、VRによる成功体験がネガティブな方向に作用するようなケースは特に確認されていない、という理解でよろしいでしょうか」。
稲邑氏:「そうですね。もうひとつ面白い話があります。先ほど自己効力感を上げるには成功体験を積むことが大切という話がありました。自己効力感を提唱した心理学者のアルバート・バンデューラによると自己効力感には4つの要因があるといいます。(▲写真9▲)

成功体験をただ積むだけではなくて、他人が成功しているのを見ると、あの人ができているのだから自分もできるかなと思える『代理体験』も大事だと言われています。その代理体験について、VRを活用して他人の成功を観察するという実験したことがあります。けん玉での実験です。(▲写真10▲)

あまりに凄い他人の成功を目にすると
自己効力感は大きく下がる
けん玉が上手くない人がヘッドマウントディスプレイをかぶって、けん玉が上手い人のプレイを見ると自己効力感が上がるのか下がるのかについて実験しました。まずは自分でやってみて、それから他人が上手くやっているのを見るパターン、もうひとつは他の人が上手くやっているのを見てから自分がやるパターンでの実験です。自分がやるのと他人の成功を見る順番を変えてみました。(▲写真11▲)

そうすると、自己効力感が下がるパターンがありました。他人が上手くやっているのを見てから自分がやると、自分の方が下手なので自己効力感が下がるという意外な結果が出たのです。(▲写真12▲)

従来の理論でいうと、あの人ができているのだから私もできるだろうとつられて自己効力感が上がると言われていたのですが、下がってしまいました。他人がやっているパフォーマンスの素晴らしさと、自分のパフォーマンスの駄目さ加減のギャップが大きいと自己効力感が下がるということが傾向として見られたのです。
さらに、他人と自分のパフォーマンスの差と自己効力感の減り方を調査したところ、他人と自分のパフォーマンスの差が大きければ大きいほど、自己効力感も大きく下がることが分かりました。(▲写真13▲)

これは、ある意味で当たり前ともいえます。野球が上手くない人が、大谷翔平はホームランをどんどん打っているのだから君もできるよと言われても落ち込んでしまうでしょう。あまりにも差が激しいのです。しかし、隣のクラスの子が君より少し上手いよと見せられると、自分も頑張ればできるかなと思います。自分と同じくらいのレベルの人が、ちょっとだけ良いパフォーマンスを見せていると、だったらできるかなと思えてくるわけです。あまりにもパーフェクトなものを見せられると、人はめげてしまうので、ここも匙加減が必要です。その人がどのくらいのスキルなのかをまず見定めて、例えばこのくらいのレベルだと分かったら、それより少しだけ良いものを見せると、良いパフォーマンスが引き出せます。こういう傾向が見られたので、今、この領域も研究しています」。
石戸:「ちなみに自己効力感を計測する指標はどのように設計されていますか」。
稲邑氏:「定量的にセンサーで測れるわけではないので、基本的には、いろいろな体験をしていただいた後に、定性的なアンケートや質問に答えてもらっています。(▲写真14▲)

ただし、これも何回も何回も聞いていると、過去の回答に引きずられてしまうこともあるので、これをリアルタイムに計測したいと考えました。ひとつの工夫として、ボタンを持ってもらって、できそうだなと思ったらボタンを強めに押してもらうとか、その人の印象をボタンで報告してもらうということを行っています。ただ、人の主観や気持ちをどのように評価するかは研究でも非常に難しいところです。スタンダードな心理学だとこういった計測方法になります。血圧や心拍や顔の表面の温度などから推定するということも研究していかなくてはいけないのですが、そこにはまだ、たどり着けていないです。今後の課題のひとつになっています」。
石戸:「成功体験を設計する際には、個人差への配慮が非常に重要になるのではないかと感じています。その点に関連して、いくつかお伺いさせてください。
まず一つ目ですが、一般に自己効力感が高い人、低い人という言い方がされますが、自己効力感は生まれ持った脳の特性として、高い人と低い人が存在するのでしょうか。二つ目として、自己効力感に対しては、これまでの経験や周囲の環境といった後天的な要因がどの程度影響しているのでしょうか。そして三つ目ですが、自己効力感が高まりやすい人と、そうでない人の違いについては、どのように分析されているのでしょうか」
稲邑氏:「私自身が研究の中でさまざまな文献にあたり得た知識や、実験を通じて得た感覚からの答えになってしまいますが、自己効力感が高いか低いかは『先天的には決まっていない』と感じています。さらに、『きっと上手くできる』と思えるかどうかは、その人がどういう経験を積んできたのかによっても影響を受けるというのは多くの人が同意されると思います。成功体験を多く積んできた子どもと、『お前なんて無理だ』、『できないに決まっている』といった言葉の暴力を受けてきた子どもとでは、将来が変わってしまうというのは、さまざまなところで指摘されています。自分はできるというポジティブな記憶や体験がどのくらい脳の中に積み上がっていくかによって、自己効力感の高い低いが決まってしまうと考えています。
自己効力感が高まりやすいか高まりにくいかというのも、今の話と連動していると思っています。ネガティブな状態だったがポジティブな状態にチェンジできたという体験が一度でもあると、そこから連動して『あのときはできるようになったのだから』と、過去と同じように頑張ればできるという考え方につながっていくと思います。
さらに、自己効力感は細かく分けると一般自己効力感と特定自己効力感に分けられます。特定自己効力感というのは、例えば自転車に乗る、ボールを投げるといったある運動やタスクに対して、自分はできると思えるかどうかの自己効力感です。一般自己効力感とはタスクやスポーツなどに関係なく、あなたはこれをやったことがないかもしれませんが、『やってみたらできるようになると思いますか』という一般的な感覚です。そして、この2つが連動しているというエビデンスも心理学では示されています。あるスポーツなど特定のジャンルでの特定自己効力感を高め、その体験・経験をその他のジャンルでも積み上げていくと、一般的な自己効力感も高まっていくということは言えると思います。例えば、子どもの習い事でも、ずっと水泳だけ、ずっとサッカーだけをやるよりは、幅広く体験することでさまざまなことにポジティブ対応できるマインドが育っていくような気がするというのは、一般的な感覚だと思います」。
自分を俯瞰して第三者視点で見る
メタ認知能力を育む研究にも取り組む
石戸:「ニューロダイバーシティプロジェクトでは、『みんなの脳世界』の開催をはじめ、ニューロダイバーシティ社会の実現に向けたさまざまな取り組みを行っています。そうした視点から見ると、発達特性のある子どもたちは、どうしても成功体験を積み重ねにくく、結果として自己効力感が低くなりやすいという指摘もあります。稲邑先生のご研究は、そのような子どもたちにとって成功体験を得るきっかけとなり得るものであり、ニューロダイバーシティ社会の実現にも大きく貢献する可能性を持つものだと感じました。その点を踏まえてお伺いしたいのですが、これまでに発達特性の強い方々を対象とした研究は実施されているのでしょうか」。
稲邑氏:「発達特性がある人たちを対象とした研究は、まだやったことがないです。ただし、VRには非常に可能性があります。発達特性のある人たちを対象とした研究にも応用できるのではないでしょうか。きっかけがあれば、ぜひチャレンジしたいと思います」。
石戸:「これまでのお話を伺っていると、あることが『できる・できない』かどうかは、その人が『できる』という経験を得られる環境で育ってきたかどうかに大きく影響しているのではないかと感じました。そう考えると、そもそも能力とは何なのかという問いにもつながります。これまでは『できる・できない』という結果によって能力を測ることが一般的でしたが、それ以前の『自分ならできると思う感覚』が、実際の結果に大きく影響しているようにも思えます。つまり、『できると思う』こと自体も、ひとつの能力と捉えることができるのではないかと感じるのですが、このような能力の定義に関する議論や、研究対象として検討されていることはあるのでしょうか」。
稲邑氏:「能力については、議論が尽きないところです。単純にボールを投げるということでも、腕を素早く動かせる能力やコントロールよく投げられる能力がありますが、私が考えるもうひとつの能力は、自分を俯瞰して『自分にはこういう能力があるのだと認識する』能力です。メタ認知とも言います。自分は今、どういう状況なのか、まだまだ下手でどうしようもないのか、かなり上手くなってきているのかを認識したり、下手ならばどういう努力をする必要があるのかを考えたり、どうすれば早く目標に近づけるのかを計画するといった能力です。自分の今の状態を俯瞰して第三者視点で見る能力、メタ認知能力がもうひとつ別の次元にある能力だと思っています。
今日の私が話したことは、冒頭で触れたようにJSTが推進するムーンショットプログラムの一環としての取り組みですが、その軸足を少しシフトしてメタ認知能力を育むようなVRアプリケーションを作りたいと考えています。ちょうど『みんなの脳世界』に出展した頃に、同じくJSTの戦略的創造研究推進事業のひとつである『CREST(Core Research for Evolutionary Science and Technology)』に採択され、2025年秋から取り組んでいます。そこで、メタ認知能力を育むVRアバターを作っているところです」。
石戸:「2026年の『みんなの脳世界』は、そちらを出展いただけるということですね」。
稲邑氏:「そうですね。あと約半年はあるので、いろいろと面白いものがお見せできるように準備したいと思います」。
石戸:「よろしくお願いします。少し先の将来についてもお伺いさせてください。現在、先生が研究されているさまざまな技術は、今後どのようなシチュエーションや現場での活用を想定されているのでしょうか。また、それらを社会に実装していくにあたり、どのような取り組みや活動が必要になるとお考えでしょうか」。
稲邑氏:「JSTのCRESTにプログラムが採択されたと説明しました。そこでどのようなアプリケーションを作ろうとしているのかについてお話します。(▲写真15▲)

発達障害の人たちとは違う側面もあるのですが、例えばスマホ依存でタスクを先延ばしにしたり、メンタル的にネガティブになったり、他人の成功を見て自分の失敗体験が増幅してしまったり、そういった状況がSNS時代にあって、ますます増加しているかと思います。そういうときに寄り添ってくれるような存在、『ネガティブに考えなくても良いよ』と言ってくれるような存在を作りたいと思っています。
上から目線ではなく寄り添ってくれる存在、ときには厳しく意見を言ってくれるような存在が身近にあると、あたかも自分の双子の兄弟姉妹が自身を支えてくれているかのように感じてもらえるかもしれません。自分とそっくりだけど自分ではない、こういった双子のようなアバターがいたら、アバターを見ていることが実は自分自身を見ていることにつながっているので、メタ認知が育まれるし、自分ならできるという気持ちにつながるかと思います。
そこで、『Self Mirroring Twins』というコンセプトを考えました。(▲写真16▲)

鏡に映し出されたもう一人の自分で、『おっ、こいつは頑張っているな』、『自分も頑張らなくては』と奮い立たせてくれるような存在です。ちょっとだけ良い自分や駄目な自分を状況に合わせて見せてあげることで、他人と会話をしているような感覚でじつは自分自身を見つめている、こういったシステムを使って、その人の生活習慣の改善をするというのがひとつの狙いです。例えば、毎日、英語を勉強したり、ランニングしたりするように生活を整えていくのをひとつの目的としますが、発達障害の人が遅刻をしないで仕事に行く、締め切りを守るといったことにも応用できるのではないかと考えているところです」。
石戸:「『みんなの脳世界』では、ニューロダイバーシティ社会の実現に向けて、さまざまな取り組みをご紹介しています。その中には、自分自身を理解することを目的とした試みも含まれています。そうした観点から考えると、自分のデジタルツインを活用することで、自分を俯瞰的に捉え、理解を深めたり、社会との関係性をより良いものにしていく可能性があるのではないかと感じました。将来的には、自分のデジタルツインが常に存在し、それと相互に作用しながら、自分自身とミラーリングの相手の双方が高め合っていくような社会になっていくのでしょうか」。
稲邑氏:「双子の存在みたいなものがあれば良いと思っています。ただ、これも気をつけなくてはいけなくて、例えば、生成AIにずっと相談していると、そこで閉じてしまって、考えが歪んでいって、現代社会に戻れなくなるという危険性も指摘されていますよね。かなり慎重にネガティブな効果がないかを確認しながら進めていく必要があると思っています。生成AIに相談するのが当たり前の時代になっていますが、バーチャルエージェントとのインタラクションのあり方として、ポジティブなインタラクションの仕方のひとつになると思っています」。
社会全体の自己効力感を
高めていくという視点も重要
石戸:「少し抽象的な問いになりますが、社会全体の自己効力感が高まっていくと、社会はどのように変化していくとお考えでしょうか。これまでのお話を伺いながら、人の可能性を伸ばす社会と、逆にそれを閉じてしまう社会の違いはどこにあるのかという点にも関心を抱いておりました。そうした観点も踏まえつつ、今後、先生の技術によって自己効力感が高まっていった先に、どのような社会が実現するとイメージされているのか、お考えをお聞かせいただけますでしょうか」。
稲邑氏:「今日、お話したのはある一人の自己効力感ですが、社会全体の自己効力感も非常に重要な視点です。先ほど説明したデジタルツインとの関係性は、小さい社会だと思います。双子が切磋琢磨して刺激し合って成長していくのがベストです。双子の2人が3人になり4人になりと広がってグループを形成しますが、そのときにグループの中である人が非常に良い状態、他の人がネガティブな状態というのは好ましくありません。グループの二極化、つまり半分の人はとても良くて半分は駄目で、平均するとぼちぼちというのは、明らかに良くない社会になると思います。双子ではN=2ですが、これが3、4、5となっていったときにどういう分布の差が最も良いのかというのが、理論的な研究のやり方になると思います。
もうひとつは、社会と一言でまとめても、日本には1億人以上がいます。1億人以上が一気にコミュニケーションするわけではないので、どういうグルーピングをするのが良いのかも重要です。例えば、進学校であっても成績が良い子が集まっているクラスもあれば、大学に興味がなく、早く社会へ出て稼ぐためのスキルを身につけたい子が集まっているクラスもあって良いと思います。そこに、大学に行くのが当たり前という価値観が広まってしまうと、社会に出たいというクラスは目的を失ってしまいます。それぞれのグループが何を目指すのか、どこへ向かえば自分は良いと思えるのか、価値観とともにグルーピングやクラス分けがうまくできるような支援システムが必要だと思います。そのためにも自分のメタ認知をすることは重要です。自分はいったい何がしたいのか、どういうことに喜びを感じるのかを、自分一人で悶々と考えていても分からないので、双子の兄弟のような存在と相談して、自分が得意なもののグループに誘導して自己効力感を上げるコミュニティ作りも、支援していければ良いなと思っています」。
石戸:「一人ひとりの価値観が異なる中で、自分にとっての幸せとは何かをメタ認知的に理解するための手段としてのテクノロジーの活用と、自分がより幸せな状態に近づいていくための支援としてのテクノロジーの活用、その両面があるのだと感じました。最後に、ニューロダイバーシティ社会の実現に向けて、メッセージをいただけますでしょうか」。
稲邑氏:「CRESTのプロジェクトではバーチャルな存在を作ることにも取り組んでいますが、同時に物理的な義手や義足を作って、医学領域ともコラボレーションをしています。それ以外にも脳計測の技術やホルモン分析の技術を取り入れたり、いわゆるELSI(倫理・法・社会に関わる課題)の視点から倫理性を検討するグループとも連携したりして研究に取り組んでいます。社会受容性の問題、倫理的な技術のあり方などは、私にとっては専門外なので『みんなの脳世界』に出展されている研究者や専門家の方々と議論しながら、我々のグループと他のグループがインタラクションしてより良いコラボレーションにつながるように活動していきたいと考えています」。
石戸:「まさに『みんなの脳世界』は、こうした議論を深める場であり、社会受容性を高めていくための装置として位置づけています。ぜひ次回以降もご出展いただけましたら幸いです。テクノロジーによって人の力を拡張することは、ニューロダイバーシティプロジェクトの重要なアプローチのひとつですが、本日のお話を通じて、テクノロジーは単に能力を拡張するだけでなく、『自分を信じる力』そのものを拡張し得るのだと感じました。本日は大変興味深いお話をありがとうございました」。